06入院生活(市立病院25日間)②

入院生活(市立病院25日間)②
個室に移る直前に採尿のためのパイプが取り外されましたが、その後 10 日間は尿瓶での採尿でした。何故なら、トイレまで自力で行けなかったのです。離尿剤で、大量の尿と一緒に血液成分も出てしまったことや、心臓に負担をかけない為に、血圧降下剤を長期間服用したため、立ち上がると血圧がぐっと下がってしまい立ち眩みを起こしてしまうからです。個室に移ると翌日に、理学療法士の先生のリハビリが始まりました。最初の 3 日間はベッドでの足の屈伸運動だけでしたが、4 日目には歩行器を使い歩行訓練を始めるのです。これで退院まであと僅かと喜んだのもつかの間で、50m も歩くと血の気が引いて目の前が真っ白になってしまいました。次の日も歩行訓練で100mも進む事が出来ました。一歩一歩進んでいる事は嬉しかったのですが最後の方はいつでも酷い立ち眩みが起こってしまうのです。
MRI、心電図 1 日検査、カテーテル検査の 3 つの検査を受け弱い不整脈はあるものの、心臓機能は通常の生活に戻れる事が判明しました。立ち眩みを忘れ、直ぐにでも退院でき仕事復帰出来ると有頂天になりました。塾は夏期講習会の真っ最中。早く復帰して立て直さなければと焦りました。しかし、実際は30分として直立することさへでず、胸には縦に20cm手術の傷跡の上にが何重にもなったガーゼと幅5cmほどのテープが貼られたままです。こんな状況では当分の間復帰は難しいのです。結局9月9日まで25日間市立病院での入院生活となりました。
中心講師の一人が見舞いに来た時に今後のことを相談。結果2018年8月いっぱいで35年間続けた学習塾の閉鎖を決定。さっそくその日からこの講師と家内の二人で塾生の家庭への閉鎖の連絡をしました。その後、家内は廃業の手続きとして会社倒産・自己破産の手続きに奔走してくれました。この手続きに当たっては、高校の同級生であり主にある兄弟にも親身になって実際に家内を援助してくれました。社会人となっていた娘は、今後のことを考慮し高崎へ転居させました。また手術当日から私が退院できるまで主にある多くの兄弟姉妹達が物心両面で家内と子供たちの支えてくださいました。
将来への不安は依然残されたままでしたが、心には不思議な平安がありました。それは、罪まみれの生き方をしていたこんな私なのに、この世にいては周りの人々にも当然神様にも泥を塗りたくるばかりなのに、この世からいなくなることが一番正解なのに、父なる神様はこの私を生かしてくれたのです。今後の生活の一切は父なる神様が責任をとってくださるという厚かましい妙な確信があったからです。ちょうど放蕩息子が帰郷しようとした時のあの光景と同じなのです。

しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
ルカの福音書 15章17~20節

 

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