12リハビリ生活(47日間)③

リハビリ生活(47日間)③
転院3週間目の金曜日午後 2 時頃、私の担当医が今後の医療方針を説明している最中に看護師さんが来てこの担当医に耳打ちしました。「先生。◯◯さんのお見送りの時間です。」『お見送り』とは、この病院で亡くなられ方が遺体安置から次の場所に移送される時、担当医師と担当看護士が亡くなられた方を最後に見送ることを意味します。担当医が急いで病室を出ていきましたこの病院は ICU は一般病棟に直近した所にあります。私の病室はICUの真横に位置しています。ICUにある検査器具の音や看護師の医療処置の音、そして身内の方々のひそひそ声も聞こえてくるのです。
その晩の出来事です。なかなか好転して来ないリハビリに対して焦りと情けなくなる思いを掻き消そうと病室備え付けのテレビを見ていました。DR.Xという日本で大人気の医療ドラマです。健康な基督者ならこんな場合「聖書を読み、自分のこと・家族のこと・友人知人のことを覚えて彼らの必要が満たされるよう祈る(『ディボーション(忠誠・献身・傾倒)』と呼んでいます)」のが普通です。しかし、あらゆる点で不健康な私は、その時テレビの誘惑に見事に負けていました。普段の生活に基督者らしさが定着していなかったからです。「聖書を読に祈る」時間は日課ではあっても、趣味や特技の様に面白すぎて没頭してしまうものではありませんでした。時折思い浮かぶ聖句は「かき氷の上のトッピング」。基督者を装うデコレーション(飾り)であっても、ディボーションではなかったのです。つまり魂の栄養に少しもなっていなかったのです。入院生活はこの課題を教え込むものと思われるのです。この日台風の為に病室の北側の窓は激しく雨が打ち付ける音がしていました。
いつもの通り午後9 時の消灯時刻を過ぎても病室ドアは開かれたままです。それは病室からのの微妙な異常音を当直の看護師さんたちが聞き分ける為です。午後 10 時ちょうど医師や看護師が慌ただしく私の病室の前を通りICUに入っていきました。そして数分後、突然男性の慟哭が聞こえてきたのです。男性の肉親が亡くなったのです。その後、その方の身内と思われる方が何人も何人も、私の病室の前を横切っていきました。恐らく受付ロビーで待機していたのでしょう。その方々の嗚咽もすすり泣きもICUから丸聞こえです。その30分後看護師さんが私の病室のドアを閉めに来ました。そして全病室のドアが次々に閉められていくのです。さらにその10分後ストレッチャーが転がってICUから遠ざかる音が聞こえてきました。
❤死んで全てが終わるなら、なぜ人は死を恐れ・死を悲しむのでしょうか。死が永遠の別離であるなら希望など持てるはずがありません。しかし、私も含め基督者には希望があります。それは次の世界(神の国)での再会が約束されているからです。「イエスキリストが十字架で絶命しその後復活のした」という事実が「永遠の命=神の国」の存在を証明していると心から信じているからです。私の心の余裕はここから来ているのです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書 3章16節
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