【番外編】分水嶺

「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。ルカの福音書 15章4節
●思春期の性欲という怪物を御すことができず、学校で大きな問題を引き起こしてしまった男子生徒が私の塾にいた。塾ではこの問題が起こる前、送迎車に同乗していた女子中学生の尻を触るということがあり、女子生徒の母親が退塾を申し込んできたが、曜日を変え個別指導に切り替えてその場を凌いだつもりでいた。男子生徒は成績上位者だったのでよもやそんな問題を起こすまいと、結果的には有耶無耶のまま過ごしていた。ところが、通常なら結構な入塾生がいて当然のはずが、その学年の生徒は皆無となった。新学期が始まり三ヶ月が過ぎた6月。学校で大問題が起きた。女子の水着が誰かに盗まれたというのだ。しかも女子更衣室から。しばらくすると女子の靴がなくなる事件が数件起きたので、外部者によるものか内部者によるものか判断がつきかね、学校では玄関に監視カメラを設置した。場合によると警察沙汰になってしまうかもしれなかったが、学校は慎重にことを進めた。すると設置一週間後に犯人が確定してしまった。なんと、前述の男子生徒だったのだ。カメラにはっきりと女子生徒の靴を抜き取っている男子生徒が映っていたのだ。彼と母親が呼び出され、事情聴取された。彼は全ての犯行を認め一時停学処分になった。だか、同学校にはいられず、遠い地域の中学校に移ったものの、最終的には、そんな生徒を受け入れる特別な全寮制の学校に行ってしまった。・・・そんな彼は今はしっかり更生し医療関係の仕事につき家庭も持っていると抗議をしてきた親から教えてもらった。(抗議をしてきた親は今ダニエルのヘルパー)
●犯人が私の塾の生徒と分かった時点で、私は事情を聞くこともなく、その生徒の母親に退塾を勧告した。その母親も元私の塾の卒業生。クリスチャンとして、悩みを持った人達の悩みや悲しみに寄り添うのが当然の行為なのに、私はあっさり彼らを切り捨て被害者面をしたのだった。その母親のママ友でもある別の塾生の親から抗議の電話があった。「先生はクリスチャンなのに彼らのことを考えてあげないんですか」私は答えた「他の生徒に既に大きな影響を与えているのでこうするしか方法はないのです。また、今後どうするか検討中です。」そう曖昧な返事を返したが結局何もしなかったのだ。
●それから丁度7年後、生徒数は前年の半数27人で過去最低値になってしまったのだ。講師への給与も遅延し、いよいよ行き詰まっていった。そしてその年の八月突如心筋梗塞になり開胸手術、72日間の入院生活。塾廃業、倒産、自家売却、自己破産となった。
●99匹の羊を置き去りにしても、たった1匹を救い出すというのがクリスチャンの心構え心意気のはず。私はそれができなかったのだ。私の属していたグループのリーダーたちも、何か問題を起こした兄弟姉妹がいると容赦なく除名していった。彼らのことを本当にクリスチャンリーダーなのかと揶揄していたくせに。私は正にリーダーたちとご同様の人間では無いか。闘病生活の中で目の中の梁を指摘されていた。この時ふと悟ったのは、問題を起こした生徒と母親に寄り添ってあげなかったあの時が、私の分水嶺だったのだということだった。神様は見ておられたのだ。私がどう振る舞うのかということを。主なる神様にとって、「迷った一匹の子羊を救い出すことをしない牧者」は無用の長物なのだ。塾を取り上げられたのは、主の憐れみの故だったのだ。当時は自己憐憫に落ち居ていたものだが、梁に気づいた今だから言えることだ。
●今私はこう確信している。私の隣には重度の知的障害を持った息子がいる。今の生活になるまで、息子のことはほぼ家内に丸投げしていた。この子の親の意識がまるでなかった。しかし、今思う。息子もまた、また家内も、また娘も。私に託された大事な大事な羊である。

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